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著作権は誰の問題?−労働連合VS著作権管理団体

Miércoles 18 de febrero de 2009, por ebita

La CNT obtiene un veredicto favorable frente a la SGAE
de Secretario de Acción Sindical, Jurídica y Pro-presos del SP del CN
2009年1月14日
Original

スペイン全国労働連合CNTが著作権管理団体SAGEに勝訴

SGAE [1]がCNTを告発したのは、自分たちの私腹を肥やすために使うことを唯一の目的に、何万人というあらゆる再生可能な記録媒体の利用者から使用料を徴収し続けている彼らの組織内部や公的機関としてあり方に疑念が浮かびあがるのを妨げようという意図からだった。

SGAEは、どのようにして経営者階級が日々自分たちの高い生活レベルを最小限の努力で維持するために、生産物の用益権を利用しているかを示す1つの例に過ぎない。彼らは、このような手法を用いて懐を肥やしている他の組織と同じように、まずあらゆる競争を排除すると同時に、こうした卑劣な商業主義的政策が抱える倫理的な問題が表面化するのを避けようとしているのだ。SGAEという組織の幹部が患っている精神的な病は、資本主義という病以外の何ものでもない。その病にかかった人の目に入るのは、最小コストでのより多くの配当金を得るということだけで、もちろん文化、音楽、クリエイターといったささいなものには興味などない。こうした忌まわしい自由主義市場についての賛歌を繰り返し歌う知識人たちには、全くもって頭が下がる。また、銀行家、実業家、政治家もまたこの病に罹っており、私たちも労働者としてこの病をよく知っている。というのも、私たちの労働においても、この精神の病は再び姿を現すからだ。

この勝訴は予測していたものだった。私たちは怯むことなく問題提起を行い、私たちの弁護士は素晴らしい仕事をしてくれた。しかし、何よりも私たちの側に理があったから私たちは勝訴したのだ。とはいうものの、SGAE側が申し立てた要求が全て却下されたのは驚きであった。その上、彼らに対して訴訟費用の支払いを命じたが、これはこの種の訴訟においてはあまりないことだ。

法廷は、この件の判決文において以下のことを法的根拠の中で示した。
本件のように、原告がある種の記録媒体に対して使用料を適用することで獲得した経済的報酬が、常に論争の火種となり、社会の様々な分野において対立を引き起こすことになるような場合には、表現の自由を優先するべきである。…これは消費者全般が影響を受けることから、街中(全ての人々)の問題である。…この問題は議論の余地のあるものであり、議論に委ねられて、矛盾を指摘されたり批判にさらされたりすることも必要である。たとえ、この目的(問題提起)に用いられた手段が荒々しく強腰であったとしても、原告が使用料による課税を、用途や記録媒体にかかわらず、無差別的に適用しているのを見るならば、それは、原告が資金調達に用いる制度がバランスを欠いた過剰なものであり、不公正な富みを引き起こしており、(事実か否かにかかわらず)社会の遺産に損害を与えていると考える人々の感情を反映したものである
ここには私たちの主張の最も大胆な部分が示されているのだ。

CTNは、バリケードによる封鎖を選んだ自分たちが間違っていたと意見を翻すことはないし、今回告訴されたことや、テネリフェにおいてSGAEとの間に継続中の争いに関する情報を載せたビラを配布しているときに同胞が逮捕されたことで怖気づいたりはしない。今回の論争がレベルや重要性において、私たちが行っている労働闘争の中の論争より低いものだと考える人などいない。私たちは自己を自由に表現する自由を護っているのであり、だからこそ、彼らは沈黙させようとしているのだ。彼らが行おうとしているのは、銀行家や財界、哀れな政治家たちの庇護の下で生きるために全てを売り払うという病気にかかっている金の亡者たちの声だけに耳を傾けるということだ。暴利をむさぼるこうした人々は、自分たちの恥ずべき行いが公になることや、労働者たちに対して絶え間なく行っている詐欺行為でとやかく言われることを望まない。

この対立は、SGAEとの対立というだけではなく、現在の社会モデル、政治モデルそして経済モデルとの対立なのだ。そして、私たちがそもそも初めから彼らに勝利していたことをはっきりとさせておく必要がある。その最大の理由は、私たちのチラシを見てにっこり微笑み、自分たちも私たちの側にいると感じてくれた人々の幅広い層からの支援を受けていたということだ。なぜならこうした人々は、CNTが今日においてもまだ、労働組合として、そして社会運動として、広く門戸を開けたままでいることに気が付いてくれたのだ。そして、若者もそうでない者も、幅広い層の人々が、闘うためのもう一つの方法を見いだしたのだ。恐怖や必要だと決めつけるという強制を用いた検閲に反対して立ち上がっている組織が今でも存在すること。CNTに参加する人々のように、連帯する人々が今でも存在すること。誠実なアーチストたちが、この寄生虫のような組織に反対するCNTを支持してくれたから、私たちは勝訴したのだ。私たちの要求が認められたのは、私たちが信じている常識や自由を反映していたからなのだ。闘うべきことは、まだたくさん残っており、私たちの頭越しに可決された労働改正法は労働者、私たちの権利や生存を直接的に侵害するものである。これらは全て、経営者や銀行家がまやかしの商売を継続し、私たちの存在を危ういものにし、解雇にかかるコストを下げ、一人当たりの労働時間を拡大させるためなのだ。資本主義という不合理な病が、我々を導いて行く先にあるこのような奴隷制度に反対するたった一つの方法は、自由という攻撃なのだ。そうした自由を体現しているものが、生活スタイルとしての自由主義的共産主義を未だに放棄していないこのアナルコサンディカリズム(無政府主義組合主義)組織である。CNTは決して沈黙しないし、家に閉じこもることもないのだ。

Kaos En La Red

Notas

[1] 日本のJASRACに相当する組織です