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食べる権利を護れ!Ⅱ〜ジャン・ジグレール氏へのオマージュ−2008年7月

Lunes 17 de noviembre de 2008, por ebita

Julio 2008: Homenaje a Jean Ziegler
Original es
イラスト W oznia k

この世界は変わりつつある。使い古された言葉のように響くけれども、これは僕がこの数年間で実感していることだ。僕の場合、9.11の衝撃の大きさに気が付くのに時間がかかったのだが、現在では、今までになくあれが21世紀という出口に向かう大きな銃声だったのだと実感している。違う形の世界秩序、違う形のルール、違う形の挑戦、そして、新たな問題と違う形の解決策。

僕が目にしているのは、グローバル化されて苛立ち、お互いに繋がれているものの他人が信用できず、共存し困難を共にすることを運命づけられているのに連帯はなく、行き先もわからない世界の姿だ。アイルランドからNOを突きつけられたヨーロッパ [1]は、現在起こっていることを表す例の一つだ。あれほど統合が進み、期待が膨らんでいたにもかかわらず、結局僕たちは共通の行き先について合意に至ることができなかった。ヨーロッパの中ですら合意が取り付けられないのに、世界の他の国々の人々を前に、どうやって世界が合意に至ることは可能だと信じて欲しいと言うことができるのか。ポーランドは、リスボン条約によって最多の補助金を受けることになる国で、魚雷攻撃をしかけた最初の国民だ [2]。これは、一つ政治機関が崩れかかっているというだけではなく、保守的傾向が今やただ地下を流れているだけでなく、高まりつつあるということの兆候でもあるのだ。ヨーロッパの人々の間で合意に至った最近の二つの決定を思い出すと、それはとても顕著だ。

• 一つ目は大陸の歴史において前例のない後退を意味する。初めて、週間労働時間の限度を引き上げたのだ。最大65時間(月曜日から土曜日までで10時間の増加)として、EUは、1917年に国際労働機関(ILO)がやっとのことで制限に漕ぎ着いた限度を5時間引き上げたのだ。たった一回の票決で。それは、数えきれないほどの失われた命、何十年もの政治闘争、一世紀に渡る社会闘争、啓蒙の伝統や作家や政治家が何世代にも渡ってやっと成し遂げたことを、飲み込んでしまった。

• 二つ目は共通の新移民法、とりわけ、身分証明書を持たない人間を18ヵ月間拘束する権限だ。ヨーロッパの国々の歴史と近代史(ドイツの半分 [3]、ポーランド、ルーマニア、チェコの場合は一世代分にも届かない。スペインに至ってもせいぜい2世代分)が、誕生から10年目の10カ国からなるECが開放的で非差別的な移民政策を取って成功を収めた例を示していることを考えると、これは奇妙なことだ。不愉快なことに、この30年の間に、共同して自主的に打算的な放任主義や寛容な政策を取って最も利益を得てきた者が、今になって自分たちの利益を護ろうして、今までずっと自分たちが恩恵を被ってきた幸運を他の人たちが手にするのを嫌がるは当然だと予想できただろうか? 今は、2つや3つの速度のヨーロッパ [4]について話すときなのか? 常に経済が主導権を握ってきたが、かつてのあの時期は違っていた。それは緊張、対立、戦争の時代から抜け出したからだった。今よりもっとレベルの高い政治家たちがいたのだ。平和な未来についてのビジョンを持つ政治家たちがいたと言った方がいいのかもしれない。現在では四方八方が保護主義や恐怖、そして後退という城壁で囲まれている。

原料価格の上昇が止まらない。米国がイラク国民の未来を懸念してイラクに留まるようになってから、石油価格が3倍になったというのはおかしくないだろうか? 世界中の投資家たちは何の躊躇もなく、あたかも電光掲示板の後ろ側には社会、飢餓や厳しい危機的状況が現実には存在しないかのように、米や穀物、アルミや銅でゲームを繰り広げている。元々(現在も)慈善家でもない人が『年金ファンドは原料に投資してはならない(ジョージ・ソロス)』と注意を呼びかけていることは注意を引く。原料の高騰で豊かになるのは、コーヒー、穀物、銅、ニッケル、大豆、ビート、牛乳や米の生産者ではなく、多国籍企業なのだ。彼らは、北においては政府の補助金、南においては圧政と汚職によってその地位を築くことに、この30年を利用してきた。農民たちの生活は苦しいままなのだ。しかし、この40年の間に僕たちは、自給自足の解体を皮切りに少数がコントロールする集団へと変化してしまった。貧しい国々、とりわけアフリカにおいては、この変化がもたらした結果は破壊的なものだ。しかし、社会構造の根底を揺るがすような状況の変化の影響を免れている国は一つもない。アルゼンチンで狂ったように大豆が生産されているのは、補助金が出ているからだ。大豆が自分たちの大地を痛めつけており、4、5年もすれば、その品質が元に戻るまでの間生産目的での使用を断念しなければならないだろうということはすっかり忘れている(自分たちの土地を5年間休ませなければならなくなったら、この農業生産者たちはどうするのだ?)。ナショナリストや保守への後退のときだって? 一体どの国が食糧を自給自足できると胸を張れるのか?

アフリカでは新たな戦いの危険が高まりつつある。戦いの相手はその昔は植民地主義、その次は新植民地主義政策(フランサフリック) [5]だった。20世紀においては、数々の問題にもかかわらず戦いは常に不正に対するもので、植民地化された民衆自身の中から多くの人々が、初めに不正に対して声を上げたのだった。ところが現在では、かつてのように自分の国で変化を求める声を上げた人々が拷問されたり、投獄されたり、暗殺されたりしているというだけではない。略奪を繰り返すことで利益を得ている多国籍企業の中にはもちろんのこと、僕たちの社会の中にも自己批判が存在していないのだ。中国がスーダン、ケニア、ソマリア、ジンバブエ、リベリアと行った国々において、武装して略奪行為を続けることができるのは、法の盲点を突いた方法で行っているからというだけでなく、フランスからの解放やベトナム戦争のときにいた知識人や政党、労働組合といったものがいなくなっているからなのだ。米国やフランスにおいてさえ、こういったものは存在しない。自国で“民主的に”選ばれた人々が行う政策には、羞恥心のかけらもない。

僕たちは行き先も代替案も規則もない世紀を生きている。
しかし、僕たちには希望が残されている。11-M(マドリッド列車爆破テロ)以前の状況へ戻ろうという願いを叶えることはさほど難しいことではないだろう。もっと多くの配分ともっと倫理的であることを要求して、自分たちの政府の政策や国際機関(IMF、世界銀行、G8、国連など)、多国籍企業に反対して民衆社会が動けばいいのだ。

それが、アンチ・グローバリゼーション運動と世界社会フォーラムが、もっと効果的に行動するために戦略を別々にした時期だったのは事実だ。そして僕たちは、破滅寸前の世界にがんじがらめにされたまま7年間も過ごしてきた。どんな新しい指導者たちにも、操作されたり、賄賂をもらったり、買収される危険がある。全員が声を張り上げるのだ。不正との戦いのために僕たちがもっと団結するのには、ちょっとしたきっかけが足りないだけだ。失望と一つのモデルが終末を迎えているという感覚は、日増しに大きくなっているのだから。おそらく指導者のことは戦略的な間違えだろうが、もうこれ以上時間を無駄にすることはできない。もっと効果的で責任感を備えた別の戦略を試してみる時期なのだ。なぜなら…。

“5秒毎1人に、10歳に満たない子供が、飢餓もしくは飢餓が直接的に引き起こす結果が原因で命を落としている。2007年には600万人。4秒毎1人に、ビタミンAの不足から視力を失っている。深刻な栄養不足の854 万人が、慢性的な餓えにより手足を失っている。”

こういったことが、資源に溢れている惑星の上で起こっているのだ。勇敢で大変な力量のある人物ジャック・ディウフがFAO(国際連合食糧農業機関)を率いている。彼自らが、農業生産力が現在のレベルの段階でもこの惑星は何の問題もなく120億、つまり現在の世界の人口の2倍の人口を養うことができることを明らかにした。 結論。この飢餓による日々の殺戮は、いかなる災いのせいでものない。その犠牲の一つ一つの後ろには殺人犯がいるのだ。現在の世界秩序は犯罪的なだけではなく、不条理なのだ。殺戮は固まった常態の中で起こっているのだ。

その方程式は単純だ。お金を持つ者は食べて生きる。それがない者は苦しみ、身体障害者になるか死ぬ。災いなどではない。餓えで命を落とす人はみな殺害されたのだ。

II. 充分な食事ができていない人々の大部分、5億1500万人はアジアに住んでおり、世界の全人口の24パーセントを占める。しかし犠牲者の割合から見ると、サハラ砂漠以南に暮らすアフリカ人が、最も高い犠牲を払っている。1億8600万人という地域の全人口の34パーセントの人々が慢性的に深刻な食糧不足の状態にあるのだ。彼らのほとんどは、FAOが“極限的な飢餓状態”と呼ぶ状況に苦しんでおり、毎日の食事は平均300カロリーと、ぎりぎり生存できる量を下回っている。生まれてから5歳までの間に充分な量の適切な食事をしていない子供は、生涯に渡ってその影響を引きずることになる。一時的に栄養不足に陥った成人は、医師の監督の下できめ細やかな治療を受ければ、再び普通の生活に戻ることができる。しかし、5歳以下の子供にそれは不可能だ。食糧を断たれると、脳細胞が修復不可能なダメージを負ってしまうからだ。レジス・デブレイは、こうした子供たちのことを“生まれつき十字架を背負った者”と呼ぶ。

飢餓と慢性的な栄養失調は、遺伝する呪いとなる。毎年、何十万という深刻な栄養不足のアフリカ人女性が、手の施しようがないダメージを受けた何十万という子供をこの世界に送り出している。こうした栄養不足ではあるが出産する母親はみな、サミュエル・ベケットが“墓の上に馬を休める...太陽が一瞬輝くが、すぐに再び夜となる”と形容した呪われた女性たちを思い起こさせる。

この記述には人々の苦しみの大きさが欠けている。目覚めると死ぬほどの空腹感に苛まれるという堪え難く刺すような苦しみの大きさが欠けているのだ。“どうすれば始まったばかりの今日一日を生き延びることができると自信を持てるのか? 自分自身を食らって?” こうした苦しみの中で生きるということは、おそらく栄養不足の身体を蝕む様々な病や、身体的な痛みよりもさらに堪え難いものであろう。
富で溢れんばかりの惑星の上で毎日、何百万人というアフリカ人が飢餓による栄養不足の状態にいるということは、固まった常態となっている。サハラ砂漠以南のアフリカにおいて、1998年から2005年までの間に、深刻な栄養不足にある人々の数は560万人増加した。

III. ジャン=ジャック・ルソーはこう書いた。“弱者と強者の間においては、自由とは抑圧するものであり、そこから解放してくれるものが法なのだ。”この世界を所有する人々と彼らの傭兵たち(IMFやWTO)が自由化及び私有化政策を極限まで実践したことは完全な失敗だった。その結果を軽減するために、国連総会は新しい人権を創設して、改めて正当化することにした。それが食べる権利だ。
食べる権利とは、自らの手であるいは購入して、質量ともに十分適切な食事を、定期的、永続的、自由に、入手する権利だ。それは消費する人々の文化的伝統に対応したもので、身体的にも精神的にも、個人的にも集団的にも、苦しみから解放され、満足できる、人間らしい生活を保障するものだ。

人権はー不幸なことに!ー明確な権利には含まれていない。つまり、餓死を裁き、食べる権利を擁護し、自分の手で食物を作る、あるいは購入して手に入れる権利を尊重し、生きる権利を護る国際法廷がいまだに存在していないということだ。

IV. ブラジルのルラ大統領やボリビアのモラレス大統領の政府のような政府が、国民一人一人の食べる権利を保障するために、自分たちの意志で国家の収入を動かしている間は、全ては順調に行く。もう一つの例南アフリカでは、食べる権利が国家憲法に規定されているのだ。この憲法によって創設された人権国家委員会は、市民社会の組織(教会や労働組合、様々な社会運動)から任命された委員と議会に任命された委員によって構成され、全ての委員が同等な力を持つ。委員会の権限は多岐にわたり、5年前に活動が始まってから、すでに委員会は重要な成果を収めている。食べる権利が無視されていると思われるあらゆる領域に介入することができるのだ。農民が自分の土地を追い出された。飲料水の供給を行う市の許可を受けた私企業がおそろしく高額な税金を最も貧しい住民から巻き上げていた。私企業が危険な汚水が与える農業の損害に無関心。貧しい地域で販売される食料品に対する品質管理が不十分など。

しかし、とりわけ第三世界に、国民の食べる権利の尊重を最優先して、それに日々心を砕いているような政府がいくつあるだろうか? だが、第三世界の122カ国には、現在地球に住む62億人のうち48億人が暮らしているのだ。

V. 世界の新しい所有者たちは人権を恐れている。まるで悪魔が聖水を恐れるように。あらゆる人権の実現を切り札として掲げた経済的、社会的、金融的政策が、不条理で最低な秩序を目に見える形で壊し、必ずやもっと公平な富の分配を生み出し、人々が生活する上で必要不可欠なものを満たし、飢餓や苦しみの大部分から人々を護ることになるのは明らかなのだから。

その具体的な実現の中で、人権によって、今とはまったく異なる世界、人々が連帯し軽蔑や蔑みから自由でもっと幸福になれるような世界が現実のものとなるのだ。

人権は、政治的にも市民的にも、経済的、社会的、文化的にも、個人的にも集団的にも、普遍的な権利で、相互依存的でも個人的でもある。そしてそれは、今日の僕たちの闘いの彼方にあるものなのだ。

ジャン・ジグレール氏は国連食べる権利人権特別報告官である

                                :: Mono Lo ::

Notas

[1] EUの基本条約となるリスボン条約の批准をアイルランドが国民投票で否決

[2] カチンスキ大統領は当初から署名に難色を見せており、アイルランドが批准するなら署名すると語っていた

[3] 東ドイツ

[4] 「2つの速度のヨーロッパ」とは、ヨーロッパの中にEUへの主権の委譲に関して、早い国と遅い国があることを指した元伊首相プロディの言葉

[5] アフリカの独立後もその利権を巡ってアフリカを食い物にしたフランスの政策のこと