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MANO NEGRA - [マノ・ネグラ]

火曜日 2008年3月11日, によって nahoko

DOSSIER Mars 2001 de elMago

元記事 - fr en es it cl

 マノ・ネグラが生まれたのは80年代後半。マヌ・チャオ、その弟アントニオ、いとこのサンティアゴ・カサリエゴといった友人たちとともに、自分たちの経験や音楽的過去の集大成たるバンドを結成しなくてはならないと思ったときだった。

 ファーストアルバムは1988年、彼らの音楽性をとりわけ特徴づけるタイトル「パチャンカ [1]」で、ロス・カラヨスの頃からの友人であるフランソワ・ハジディ・ラザロ [2]のレーベル・ブーシュリーから出された。これは聴衆からかなり受け入れられた。もっとも、彼らのライブで見られるエネルギーを凝縮出来たわけではなかったようだが… [3]。

 さらに飛躍した成功を獲得するには、フランス国境を越えねばならない、勝利を得るために。この思いからかのバージン・レコードと契約する。これにはバンドがレーベルと対等で話し合えること、また独立した権利を持つことがはっきり明言されていた。 「ピュータズ・フィーバー [4](この名は、このレーベル変更についてメンバー幾人かが乗り気ではないというのを示してもいる)」が1989年にリリースされ、マノ・ネグラの名を、最高のバンドの一つとして世界中に広めることとなった。

 マノ・ネグラはイギー・ポップの前座として合衆国制覇に乗り出す。だが結果はメンバーにとってはがっかりさせるものだった。彼らの音は、既にラテン・カルチャーに密接に結びついていたのだ。
1991年キング・オブ・ボンゴ [5]がリリースされた。北米で刻み込まれた経験がここには見られる。

 引き続き日本でのコンサート・ツアーが行われ(8コンサートを数える)、バンドはその最初で最後のオフィシャル・ライブを録音・リリースする。「パチンコ地獄 [6] だ。ここでようやく、バンドのライブでの底力を感じる事が出来る。

 1992年、初のラテン・アメリカでの大いなる冒険に、カルゴ・ツアーで打って出る年だ。貨物船に乗りこんで港から港へと、その音楽を伝播していく。

 次の年にはさらなる冒険を試みた。コロンビアの廃線を利用しその路線のありとあらゆる村や町、ゲリラやドラッグ・ディーラー、軍隊の前で演奏して廻ろうと言うのだ。この冒険はマヌの父であるラモン・チャオによって本 [7]に纏められている。  1994年リリースのその最終傑作「カサ・バビロン [8]には、この旅の経験が強く影響を与えていることが、非常に分かりやすく見てとれる。この素晴らしいアルバムは、主にはマヌの構成による作品となった。これはほぼソロ作品と言っても良いのは、グループはコロンビアでの旅の間に「気楽さ」を失ってしまったことによる。この時以来、彼らはいずれも別々の歩みを辿ることになったのだ…。

ディスコグラフィー

- Records - Mano Negra [up]
- Patchanka (1988 Boucherie - Album)
- Patchanka (1988 Virgin - Re-edition)
- Puta’s Fever (1989 Virgin - Album)
- King of Bongo (1991 Virgin - Album)
- Amerika Perdida (1991 Virgin - Best Of)
- In the Hell of Patchinko (1992 Virgin - Live)
- Bande Originale du Livre (1994 Virgin - EP)
- Casa Babylon (1994 Virgin - Album)
- The Best Of (1998 Virgin - Best Of)
- Out of Time (2005 EMI - Double DVD)
- Lo Mejor de la Mano Negra (2005 EMI - Double Best Of / Live)

おもなコラボレーション

- Fuerza Vol.1 (2000 Virgin - Compilation)

関連アーティスト

- Hot Pants
- Manu Chao
- P18
- Flor del Fango
- Carlos de Nicaragua
- Fidel Nadal

関連リンク

- www.la-mano-negra.com
- www.out-of-time.fr
- www.audiokat.com/artistas.asp?aid=00000072

補足

[1] Patchanka

[2] François Hajidi-Lazaro

[3] この点についてマヌ・チャオは後に、当時はライブのエネルギーをCD化しようとしたけどそれはそもそも無理なんだ、CDはそれと違うものとして作らねばならない、と述べている

[4] Puta’s Fever

[5] King Of Bongo

[6] In The Hell Of Patchinko

[7] Un train de glace et de feu 氷と火の電車

[8] Casa Babylon

1 メッセージ

  • MANO NEGRA - [マノ・ネグラ] 2008年3月12日 10:31, によって nahoko

    お山の大将を揶揄するようなKing of Bongoって、当時アメリカ聴衆を踊らせることが出来なかったまの・ねぐらの自虐ソング?!と思ったのですが、どうなのでしょう。