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AMPARO SÁNCHEZ - [アンパロ・サンチェス]

日曜日 2010年11月14日, によって nahoko

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Tuscon-Habana。これが、アンパロ・サンチェスのソロ初作品タイトルになる。 「アンパロ・サンチェス」の名を聞くと、アンパラノイアを思わずにはいられない。アンパロが1997年に結成し、1000のライブと7枚のアルバムを11年の間に世に出したバンドだ。だが2008年、アンパロはアンパラノイアの活動に終止符を打ち、ソロという新たな冒険に乗り出す決意をする。‘Tucson-Habana’は従って、そのソロファーストだ。

とても自分というものに寄り添ったアコースティックな作品で、アンパロは、自分本来の独創性あふれるやり方を守りながらも新しい方向に乗り出している。カレクシコ、ジョーイ・バーンズ、ジョン・コンベルティノらとのデュオが見せてくれるのは、まるで上等な器楽編成、一面の灼熱砂漠、香り立つラムの古酒を思わせるカリビアンたち、心の奥深くを震わせることば、フレッシュで汚れのない歌ごえ、感動、そして純粋でいるということ・・・・

2006年を少し振り返ろう。

アンパラノイアがかのモントリオール・ジャズフェスに出演予定だったときのこと。一部のメンバーたちがカナダ行きの飛行機に乗れなかったため、アンパロはその日、コントラバスとドラムの3人編成でステージに立たざるを得なくなったのだ。コンサートは大盛況に終わった。当時のアンパラノイアといえば、「メスティソ」な持ち味により、行く先々のコンサートを文字通り信じがたいほどの熱狂にたたき込んでしまうと知られていた。だがこのモントリオールのコンサートはそのどれとも異なっていた、なぜならカナダの観客たちは、アコースティックな音色と肩の力がほどよく抜けたトリオセットに魅了されたのだから。「この日起きたことは私の中で、素晴らしい偶然の賜として覚えているわ。」彼女は言う「私は今までビリー・ホリデイやチェベラ・バルガス、ニナ・シモンといったアーティストに触発されてきた。つまりジャズやブルース、ソンね。でも、もう長いこと、もうちょっとソフトなくつろいだ感じに歌ったり演奏したいと思っていた。お客さんともっと違ったやり方で接してみたくて。音楽と私のボーカルで、お客さんたちが心を持って行かれる感じでね。」

Corazon de la Realidad…真実の心

偶然が物事を調える。ジョーイ・バーンズはカレクシコとともに、まさにそのモントリオールにいたのだ。彼はすでにアンパロのチャーミングなボーカルとそのカリスマ性に魅了されており、実のところ2003年以来、折に触れ一緒に仕事をしてきている。アンパロは「インスピラシオン」や「ロカ」といったバンドの何曲かを録音するのに参加しており、そうこうするうちカレクシコのライブいくつかに招かれ歌ってもいた。アンパロが、自分は今何曲かをソロでやっているんだと話すと、彼らは、アリゾナのトゥクソンにあるウェーブラブスタジオに来て録音するよう説得しだしたのだった。

2007年10月、そんなわけでトゥクソンに、カタルーニャ人のコントラバス、ジョルディ・メストレス・ガッソとバスク人のプロデューサー、カキ・アルカラソを従えて、初録音のセッションに彼女はやってきた。「素晴らしい体験だったわ」アンパロは語る「トゥクソンでは、楽器を鳴らせば新曲ができあがるような申し分のない空気があったの。ジョン、ジョーイ、そして大切なチーム全員の存在。トゥクソンは開拓時代の魂がまだ息づいていて、私はといえばソノラ砂漠で、まるで自分の家にいるような気分だった。」この、人気無く熱いソノラ砂漠の広々した景色が、1曲目の「アキ・エストイ」や「オイ」を生み出した。心の奥深くからくる感情、これはアンパラノイアの曲にも常にみられる主題でもあったが、バンドのお祭り的な部分に隠されてしまっていた。何というか「泣く?だな!踊りながら泣こうぜ!」というような。トゥクソン・セッションでは、フィエスタはツアーに向けて去ってしまい、置いてきぼりを食らってそしてアンパロと、差し向かい。彼女がそこで語ってくれる、その惨めな過去で、やがて彼女自身の奥深さでもって、笑わされてしまう。その愛で、不正義で、空白の時間で、サボテンと土埃だらけの旅で、孤独で。

初のシングル「コラソン・デ・ラ・レアリダ」はジョーイ・バーンズと書かれた曲だが、これはといえばアメリカの風景に満ちあふれてまた人々にはメキシカンのトジャラバルのすばらしさを夢見させるような曲だ。全編にジェイコブ・ベネズエラのトランペットが至高の音を響かせる。トゥクソンの2007年10月は、真の音楽的出会いが起こっていたということなのだ。

 オマーラ・ポルトゥオンド

だが、トゥクソンでの録音セッションは、アルバムの「半分」でしかない。実のところアンパロは、子供時代からずっとキューバ音楽に湯浴みをし、それはすでにアンパラノイア時代の音にも聴くことが出来る。この初のソロアルバムでは彼女はさらなるチャレンジを試みる。2009年5月、彼女はジョーイ・バーンズとジョン・コンべルティーノを引き連れ、ハバナの伝説的スタジオ・EGRETにやってくる。「ここのスタジオでは今もまだ、そこに居たアーティストたちの魂を感じる。ベニー・モア、ブエナ・ビスタとライ・クーダー、ラ・ルペ…。つまりキューバ音楽の歴史そのものをね。」この旅に、カレクシコのデュオが来ていないのは惜しむべき事だ。「まさに人生が変わる体験だった。」と、のちにジョン・コンヴェルティーノは語る。

EGREMスタジオでは、アンパロは「トゥリスタ・アクシデンタル」や「アパゴン・エン・ラ・ハバナ」に注力する。アンパロはまた「ラ・ガタ・バホ・ラ・リュビア」という伝統的な曲に、びっくりさせるようなバージョンに変えて録音もした。さらにはまた、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの歌姫、齢79ともなろうというオマーラ・ポルトゥオンドとのデュオを、「ラ・パランディータ・デ・ラシュ・サンタス」で実現。まさに鳥肌ものの曲だ。二人の歌姫のボーカルはまさに夢のようなマリアージュを果たす。このアルバムでもっとも力強さを感じさせる瞬間だ。

出会いが生んだアルバム

目に見えて、非常に個人に寄り添ったファースト・ソロ作品となる。アメリカ的なメランコリーとキューバらしい軽さ。変わらない唯一のものはこの「純血の歌姫」が持つカリスマであり、またその彼女が放つ、一度聴いたら決して忘れることのないその歌声だ。初めて、彼女は歌詞に多くの時間を費やして、繊細さやニュアンスというものをさらに盛り込んだ。アンパラノイアの音楽で踊った後は、ここに座ってこの14の短い物語を聴くべきだ。視界、出発、別離、帰郷、再会。力強いものから繊細なものまでがそこにある。長い長い冬のあいだ、夏を懐かしむような時間にぴったりのアルバム。成熟のアルバムというものなのだろう。あるいはまた、彼女の人生アルバムだという人もいるかもしれない。確かなのは、「消費むけ」音楽ではない、多国籍の「シェフ・プロデューサー」たちが仕込みあげたということだ。このアルバムこそは、好奇心と才能にあふれたアーティストによって作られた、また出会いの賜といえるものなのだ。

デジタル版には2曲のボーナストラックがついてくる。1曲目が「フロール・デル・デシエルト」、もう一つの巨大砂漠を統べるサハラ遊牧民のリズムと歌声にインスパイアされ、サハラウイ・マリエム・ハッサンとともに録音されたものだ。アンパロと彼女の出会いは2007年の終わり頃、西サハラのダジュラにある難民キャンプでのこと。もう1曲は「ムヘレス・シン・ミエド」、これはティケン・ジャー・ファコリ(もう紹介の必要もあるまい)との力強いデュオ。ティケンとは、これまでにも何度も何度もテレビ番組で共演し、ミニライブを重ねている。

さて当然ながら、アンパロ・サンチェスはツアーの用意もある。2010年3月からのファーストアルバムツアーだ。彼女にしたがう6人のミュージシャンたち、ベースのジョルディ・マストレス、ピアノのオスカー・フェレ、ギターおよびプロデューサーのカキ・アルカラソ、ヴァイオリン・チェロのカリ・ロシ・ヴァロナ、そしてキューバのトランペット吹きホセ・アルベルト・ヴァロナ。アンパラノイアのコンサートと言えば、レゲエ、ルンバ、スカそしてロックがお祭り様式に混じり合っては熱狂とダンスに駆り立てる正真正銘の瞬間だった、そしてアンパロ・サンチェスのコンサートは、よりソフトで優しくて、リラックスして、観客と一緒に作り上げられていく。独特なその歌声で、より練られ、風味付けされて歌われる。純粋さで、飾り気のなさで、ただひたむきに。

ディスコグラフィー

- Tucson-Habana 2010 Pias - Album

主なコラボレーション

- Rude: (Stop al puto) Panico
2008 - EP

- Rude: La Conexión
2009 - Double album

- Chico Ocaña: Canciones de mesa camilla - 2010 EMI - Album

- Proyectos de Conciencia, Vol. II
2010 - Compilation

関連アーティスト

- アンパラノイア

ウェブサイト

- www.amparosanchez.info

- www.myspace.com/amparotucsonhabana